第九話



そんな二人の耳にも少しずつだが周囲をざわめつかせているあの音が聞こえてきた。
「これは…?」
「まさか何かあったのか…」
お互い相対しながらその意見については一致していた。
そんな緊迫した状態のこの場に数人の兵士が急いでやって来た。
「どうしたんですか!何かあったんですか!!」
控え室からオフィクレードとクラリオンが飛び出して尋ねる。
「たっ大変です…先日ヴァージナル様とブラッダーさんが退治なされた魔物が
収容所から脱走して…錯乱状態でこちらに向かってるんです」
息を切らせながら兵士の一人が答える。
その一言に周囲の観客が一気にざわめき始めた。
戦っていた二人も瞬時に剣を納め、闘技場から降りてくる。
「それで状況はどうなっているんだ?」
一介の剣士から自国を守護する騎士団長に戻ったチェレスタが尋ねる。
「はい…今ここに魔物が来ないようにトロン国王とコル王妃、
それにクルム様が尽力なされています。ですがこの調子ですと…」
「父さん、母さん…」
その話を聞いたオフィクレードが心配そうな表情を浮かべる。
そんな彼を安心させるかのようにしてブラッダーが彼の頭にぽんと手を置いた。
「そうか…なら急いだほうがいいな。」
「ブラッダー…」
ブラッダーがその話を聞いて言う。それにチェレスタは頷き、
「ならお前達は急いでここにいる観客を非難させるんだ!」
「はいっ!!」
騎士団長チェレスタの命令で兵士達はいっせいに動き始める。
「お前達も手伝うんだ!」
「へい!」
ブラッダーも自分の部下の魔族に指示をする。
他にも大会に出場していた兵士や傭兵達も進んで避難に協力してくれた。
人間と魔族がそれぞれ混乱している人々の誘導をする。


「みなさんー!!こちらへ早く!!」
「こっちに早く来なー!!」
その間、チェレスタはその場から一歩も動こうとはしなかった。
その様子に不安を抱いたクラリオンがすかさず声をかける。
「師匠…」
「リオン…お前は王子の護衛を頼む。」
クラリオンの肩に手を置いて、チェレスタが言う。
「でも師匠は…?」
「私はここに残る。元々奴がつけ狙っているのは敵であるこの私だ…」
落ち着いた言葉だったが、その言葉を紡ぐ表情は心なしか暗い。
元々自国を守ることに対し責任感が強すぎる帰来がある彼女ゆえに、
このような状況に陥ったことに対し真っ先に責任を感じているのかとクラリオンは思っていた。
「でも……私は…師匠のようにまだ…強くありません…だから…」
それにまだ幼い自分が王家の人間の護衛を任せられることに対しての不安もあった。
そんな弟子の不安を拭い去るようにして、チェレスタは凛々しい表情で弟子の顔を見つめる。
「お前もこの誇り高きダル・セーニョに生きる『騎士』なら…
この剣を振るう理由を理解していれば…大丈夫だ。」
「師匠…」
今まで師に習ってきたことは何も剣術だけではなかった。
彼女が何遍も繰り返し言っていた『あの言葉』。
それこそが自分がこの剣を振るう理由。
クラリオンは自分の剣を手に力強く握り締め、凛々しい表情で師に向かって敬礼する。
「解りました!クラリオン・スケルツォ!ダル・セーニョの騎士として
オフィクレード王子の護衛、やらせて頂きます!」
その頼もしい姿にチェレスタも頷く。


「ああ、頼んだぞ…お前なら…」
そこで何故かチェレスタの言葉が途切れた。
「師匠?どうかしたんですか?」
クラリオンはその師の姿を不思議に思っていたが、チェレスタは首を横に振って
「いや、なんでもない…」
と少々苦笑いしながら答えただけだった。
「そう…ですか…」
「心配するな。それに…」
クラリオンはそんな師の姿に少々腑に落ちないといった様子だったが、
チェレスタは一度鞘に収めたはずの二刀流の剣を引き抜いていた。
彼女の後ろには既にあの魔物がいたのだ。
『ガァァァァァ!!!』
魔族の爪がその場にいた二人を襲う。
チェレスタは前回と同じようにして、二刀流の剣で爪を防ぐ。
「くっ…」
「師匠!!」
クラリオンが加勢しようと剣を引き抜く。
「来るな!こいつの狙いはこの私だ!お前は早く…王子の方を…」
剣にのしかかる重圧に耐えながらチェレスタが叫ぶ。
その姿にクラリオンは頷いて、その場にいたオフィクレードの手を引っ張る。
「王子!行きましょう!!」
「あっ…うんっ!!でもブラッダーは…?」
オフィクレードはブラッダーを見上げながら尋ねる。
「俺もここに残る。あいつの狙いはヴァージナルだけじゃなく、
この俺でもあるからな。さあ!二人とも速くここを出るんだ!!」
彼もまたチェレスタの加勢にと背中の太刀を今一度引き抜いた。
そんな二人の姿を案じながらオフィクレードとクラリオンは闘技場を後にした。


「ふっ…悪いな。ブラッダー…『答え』の決着がお預けになってしまって…」
苦笑いを浮かべながらチェレスタが答える。
依然として拮抗した状態だが若干チェレスタの方が押され気味だった。
それを助けるかのごとく、今度はブラッダーが魔族に立ち向かう。
「いや、それはお互い様だ…ヴァージナル。今はこいつの暴走を止めるのが先決だ!!」


二人の騎士により押さえ付けられた魔物だが、その咆哮が止むことはなかった。
『ガッ…オノレ…オノレ…オノレエェェェ!!』
魔族を抑える二人も険しい表情になる。
今のこの魔族の力は先日倒した時とは比べ物にならないほど、
強い力でこちら側を圧迫してくる。
二人への復讐に対する執念から来る力なのだろうか。
「もうこれ以上の力を使うな!それ以上やるとお前の命の危険に関わるぞ!!」
同じ魔族であるブラッダーがそう呼びかける。
魔族に永遠の命を与える大魔王ケストラーがパンドラの箱に封印されて以来、
魔族たちには自分達の力―即ち『魔力』を使い果すと寿命が来て、
下手をすれば人間よりも早く死を迎えてしまう。
ブラッダーはこの力が彼の全力だということは気が付いていた。
それにも関わらず相手の力はますます強くなってくる。
無闇に魔族を倒したくはないが、このままでは明らかにまずいと二人は思っていた。


「何故…何故お前はこれほどまでに私達に執着するんだ!!」
チェレスタが剣で魔族の手を押さえつけながら叫ぶ。
その言葉に錯乱状態の魔族の声が咆哮とともに聞こえてくる。
『キサマラガ…ダル・セ…ニョヲマモル…騎士ダカラダ…
オレモムカシハ…マゾクノ騎士ダッタ…
オノレの誇リヲモッテ、ニンゲント戦ッテイタ…』
その言葉に二人ははっとなった。
この魔族も昔は人間たちと対していたことは少々解せなかったが、
自分達と同じように剣を振るっていたことを思うと複雑な心境になっていた。
『デモ…ケストラー…ガ封印サレタアトハ…オレハ…タンナル盗賊フゼイ…
剣ヲモツコトサエユルサレズ、オイタテラレタ。
マケタ『飼イ竜』ハオマエラ『人間』トトモニ、ノウノウト生キテイル…ソレガユルセンノダ!!
ダカラオレハ…ナニガナンデモお前ラヲ倒シテヤル!!』
その言葉とともに今までより強い力で二人を圧迫する。
二人とも何とか攻撃を防いだが、反動でチェレスタは青空に飛ばされてしまった。
「ぐっ!!!」
「ヴァージナル!!」
彼女は軽い身のこなしを利用して、空中で旋回して観客席になっていた階段に着地した。

「……くっ…このままでは埒があかないな」
「無闇に戦いを長引かせて、奴の魔力を削ってしまってはまずい」
剣を振るう場所を奪われたこの魔族がブラッダーにとっては昔の自分のように感じられた。
強さだけを求め、憎しみと怒りだけでトロンに戦いを挑んだ自分に何時の間にか重なっていた。

(トロン国王に立ち向かった時の俺も…こんな醜い魔物だったのだな…)

彼の姿に過去の自分を重ね合わせたブラッダーは苦笑いを浮かべた。
そんな考え事をしている最中にも、魔族は容赦なく二人に襲い掛かる。
二人の騎士は離れた場所からお互いに頷きあい、タイミングを上手い具合に合わせ
暴走する魔族から双方、凄まじい瞬発力で間合いを取った。
そしてお互いに剣先を魔族の首筋にあてる。

「チェックメイトだ。」
チェレスタが冷静な表情で言う。
『ガッ……』
その様子に魔族の動きが一瞬止まる。
「同胞として無闇にお前を殺す気はない…さあ、大人しくするんだ」
ブラッダーが諭すようにして魔族に言葉を投げかける。
しかし魔族の目はまだ二人に屈してはいなかった。
彼は更にパワーを挙げて自分の尾を使い、二人を攻撃する。
『ガァァァァァァ!!!』
鞭のように迫ってくる尾を二人はよける。
よけた後の尾は鋭敏な刃の如く闘技場の壁をえぐっていた。
一撃でも当ったら大怪我は間違いない。
「くっ…俺達の声が聞こえていないというのか…」
「それほどまでに奴は私達に…でも奴をまた行動不能にするだけではまた二の舞だ…」
どうすればこの孤独な魔族を救い出すことができるのか。
二人がじりじりと彼の元へ剣を携え、歩み寄ろうとした瞬間。

「うわわぁぁぁぁぁん!!おかあさぁぁぁぁん!!!」

闘技場の客席に一人だけぽつんと取り残されている少年の姿があった。
母親と一緒に逃げ出そうとしたのだろうがこの混乱のさなか、母親とはぐれてしまったらしく
そのまま座り込んで泣きじゃくっていたのだ。
「なっ…」
チェレスタが急いでその子に駆け寄ろうとしたが一歩遅く、魔族の大きな手がその子に伸びる。
『ウルサイガキメ…ジャマヲスルナ!!!』
「うわぁぁぁぁぁ!!」
最悪の事態が起きた。
魔族は容赦なく、子供をねじり殺そうとしていた。
ブラッダーの脳裏にはこれと似た…先日のあの事件を思い出させた。
前回の二の舞は演じたくない。その思いが彼を揺り動かした。
「その子を離せ!!」
二人はものすごいスピードで魔族に突進していくが、魔族も馬鹿ではない。
二人の目の前で息が絶え絶えになっている子供の姿を見せつけ、彼らの動きをいっぺん止めた。
そして自分の尾で自分が壊した二人を吹き飛ばす。
『フフフ…イイモノヲヒロッタ…コレデオマエラハ簡単ニオレニ手出シ出来ナイトイウワケダ…』
魔族は不敵な笑みを浮かべながら言う。
「ふざけるな…それで私達を倒したと思っているのか!!!」
瓦礫から這い上がってきたチェレスタがものすごいスピードで剣を振るう。
しかし、剣は届いているはずなのに魔族の表情はまったくひるまない。
『マエハ油断シテイタカラオマエノ剣ニタオサレタガ…
イマダトコンナヘナチョコナケン…ムズカユイワ!!!』
そういうと彼は足でチェレスタの腹をえぐるようにして蹴りを入れた。
「ぐほおっ!!」
彼女はその痛みにのた打ち回る。

(ちっ…力の衰えが…こんなところにまで影響してるとは…)
彼女は自分の衰え行く力を呪うかのような苦しい表情を浮かべた。

(くそ……俺には…あの子を助ける術はないのか…)
ブラッダーもまた、自分の無力さに唇をかみ締めていた。





     index