「くうっ!!」
一人の若い剣士が剣先で相手の剣圧をこらえる。
それなりに剣士として名を馳せていた彼はこの剣術大会で、
準々決勝…ベスト16まで上り詰めた。
その準々決勝での彼の相手は彼より小さい…まだ幼い少女だった。
しかし彼女は彼の思った以上に強かった。
経験、肉体…絶対的な力はこちらの方が上のはずなのに
彼女の剣術は彼の実力に追いついていた。
状況的には今は五分五分…ややこちらに分があるといった形だが、
それも油断したら何時覆ってもおかしくは無かった。
それに対し、彼女―クラリオンはふっと剣に入れている力を緩め彼の剣先から離れ、
身軽な瞬発力をつかって瞬間的に移動し、相手の急所を衝こうとする。
彼はそれに対し、すぐに体制を立て直して防御に回る。
間に合うかどうか…
二人の戦いを観戦していた観客たちにとっては一瞬のことだったが、
戦っている二人にとっては長い鬨のように感じられた。
「惜しかったね、リオン」
選手控え室では彼女と同じく惜しくもベスト16で敗退したオフィクレードが
大量の汗をかいているクラリオンにタオルを差し出しながら言った。
結局あの後、彼女は攻撃を防がれそのままその隙をつかれ負けてしまった。
それでも彼女は全力を出し切ったことに対する達成感で笑顔になっていた。
「ありがとうございます、王子…」
「相手とかなり競り合っていたから、どちらが勝つか最後まで解らなかったがな…」
次の試合の出番を待っているブラッダーが話に加わる。
彼は勿論、準決勝まで駒を進めていた。
「やはりここは経験の差、ですね…
いくら師匠に剣術を習っていてもそれをどう昇華するか…
私にはまだそれが出来ていないんです。」
汗をふきながら、彼女は冷静に今の戦いを分析していた。
強くなるには鍛練や、剣技を学ぶことは勿論必要だ。
それだけで強くなるわけではなく、戦いの中で得るものも数多い。
しかしただ戦って勝敗の結果を知るだけでは強くなれない。
重要なのは勝敗が決したその後。
勝ちに驕り、自分の実力に溺れるのか。
また負けに失望し、自分の実力に自身をなくすのか。
それらを乗り越えた先に真の強さが見えてくる。
クラリオンは幼いながらそれを理解して自分の負けたことに臆せず、逃げず立ち向かっていた。
「でも、私はこの負けで更に自分が強くなれる確証を得ました。
だから…この次は…」
彼女は俯きながらそう答える。
その声は心なしか震えていてタオルを持っている両手はわなわなと震え、
涙が手に落ちていた。
それでも彼女は言葉を続ける。
「だからこの次は…もっと強くなってあの人に勝ちたいです!!」
涙と笑顔でごっちゃになった顔でクラリオンは明るく、元気に答えた。
その彼女の姿にオフィクレードは、
「大丈夫!リオンはもっと強くなれるよ、ねっそう思うでしょ?ブラッダーも…」
「あっああ…そうだな…」
彼は一瞬その言葉を返すのに迷った。
クラリオンはまだ幼い。
オフィクレードと同じく鍛練を真面目に行い、実践の経験を積めば益々強くなるだろう。
しかし、彼女の師であるチェレスタは逆に衰えて始めている。
いくら鍛練を積んでも…抗うことの出来ない運命。
魔族である自分にはその猶予期間が長いが、
今目の前にそれが迫っている彼女のことを考えると
成長過程にあるクラリオンにそう簡単に言葉が返せなかった。
(お前は…こんな時、どう答えるんだろうな…ヴァージナル)
彼は控え室の窓から見える試合の様子を見ながらそう思っていた。
チェレスタは準々決勝の舞台に立っていた。
相手は竜の頭を持つ隆々とした肉体を持つ魔族…元・幻竜軍の兵士。
つまりブラッダーの部下だった者だ。
そんな彼に臆せず立ち向かうチェレスタ。
かつて自身がトロンに言ったように
この戦いに生まれ持った肉体のハンデというものは存在しない。
彼女も充分それを解っている…いや、元から彼女にとってそんなものは何でもないのだろう。
ただ彼女は眼前の相手を見据えて、二本の太刀で彼の振るう剛剣を受け止め、
柳のようにしなやかな身体で体制を立て直し、相手の急所をついた。
相手はまるで魔法にでもかけられたかのように反動で宙に舞い、倒れ伏した。
『ぐっ…、やはりこのダル・セーニョで一目置かれる存在でありますな…』
勝敗が喫した後、相手の魔族は剣を支えにして立ち上がりながらそう述べた。
「あんまり買いかぶらないでくれ…お前も今までの相手の中でかなりの実力だったよ。
お前も、もっと経験を積めば強くなれる…この私以上にな。」
戦いから見えた彼の実力を評価して、彼女は言った。
しかしその表情は若干曇っていたことを知るものは少ない。
一方、ダル・セーニョ城内の地下。
ここには王国内で害をなした者を一時的に拘束する簡易的な留置所があった。
毎日2、3人の兵士達がローテーションを組んで
彼等が脱走しないように看守として常駐しているのだ。
そこに一人の若兵士が当番交代のためにやってきた。
「お疲れ様っす〜」
「ああ、お疲れー」
交代を待っていた3、40代くらいの兵士が体を屈伸させながら返事をした。
「はぁ…お前もこんな狭いところに毎日来ると疲れるだろ?」
「ええ、おまけに暗いから外に出ると目が結構眩むんすよねえ」
下手に脱走できないようにここの明かりは極力減らされている。
今この兵士二人が会話をしている部屋の隅の机の上に
小さなランプが一個置かれている以外には、
牢屋の状況を知るために一つ一つの牢に薄明かりがともされているのみだった。
「で、状況はどうなんすか?」
ランプの傍にある交代用のノートを眺めながら若兵士がたずねる。
「今日はどこもかしこも異常なし!まあこんなところに閉じ込められたら気も滅入るから
脱走する気も起きねえよな…」
「そっすよねえ…でもそれ以前に悪さなんかしなけりゃいいのに」
「同感だ」
先輩兵士が苦笑いを浮かべながら答える。
「そういえば『上』の様子はどうだった?」
「ああ、剣術大会のことっすか?どーにもこうにも…すごい盛り上がりですよ」
「こんな地下からもたまーに地鳴りのような感じで歓声が響いてくるんだよ…
何か気になってなー…」
牢の記録に記入をするためにペンを持っていた先輩兵士が
そのペンをくるくると回しながら言う。
「2年ぶりに帰ってきたヴァージナル様の参戦っていうのがやっぱり原因なんでしょうねえ…
それにブラッダーさんや国王との一騎打ちもありえるなんてうわさも飛び出したら
気にならない国民がいないわけないじゃないですか…」
彼がそう言い掛けた途端、彼の真後ろの牢屋からとてつもない殺気があった。
殺気を出しているのは先日捉えられたばかりのあの虎型の魔族。
彼は常軌を逸した瞳でその兵士の言葉に反応していた。
―ヴァ…ジナ…ル…ブ…ラ…ッダ…
この暗さと話に夢中になっている兵士二人はそんな異常な事態に気がついていなかった。
「となると今回の優勝候補はその三人ってわけか…」
「でも国王は今回公務に追われていて参加できないとかで実質上は
ヴァージナル様とブラッダーさんの一騎打ち状態らしいですよ」
二人の単語が会話中に出てくるたびに、どんどん殺気が大きくなってくる。
彼の力によって牢屋の格子が徐々に軋み始めていた。
―オ…ノレ……
「ほおっ…そりゃすごいな」
「でしょー先輩なら決勝戦くらい間に合うんじゃないすか?
一度でいいから見に行ってみたらどうです?」
「ああ…隊長とブラッダーさんの戦いか…こんな辺鄙なところを守る兵士だが…
ダル・セーニョの騎士としてその戦いを見てみたいな」
―ダル・セーニョ…キシ…
「それ以前に息子さんと奥さんが見に行ってるからですよね?
そんなかっこつけのような建前作らなくたって解るっすよ」
―ユルサン…ユルサン!!
「そっそうかあ…?」
「早く行ってくださいよ…後のことは俺に任せて練兵場に向かってく…」
そう彼が言い終わろうとした瞬間に彼の目の前には
二人の騎士が倒したはずのあの魔物がいた。
魔物の目はただ一つの復讐のために赤く血走り、まだ引きずる痛みに濁った涙を流す。
『オノレ…コノ…オレヲ…コケニシヤガッテエェェェェ!!』
彼の爪が縦横無尽に牢屋を引き裂き始め、落石が二人を襲う。
「なあっ!!こいつはっ!!」
若兵士は剣をもって落石を弾くがそれも中々追いつかない。
一方の先輩兵士は果敢にも剣を持ち、落石を弾き返しつつ魔物に戦いを挑んでいた。
「くっ…お前に今、ここを脱獄されちゃあ上が大変なことになる!」
彼の剛剣が魔物の急所を衝こうとする。
『ジャマダ!!』
しかし、彼の攻撃の最中に魔物は容赦なく爪を振るう。
「ぐはああっ!!」
爪は容赦なく彼の鋼鉄の鎧を壊した。
「先輩っ!大丈夫っすか!!先輩!!」
若兵士が何とかして彼の元に駆け寄る。
その間にも魔物は暴れつづけ、咆哮とも言えるような言葉を連発していた。
『オノレ…ヴァージナル…オノレ、ブラッダー!!コノオレヲ…!!コノオレヲ!!』
魔物はそのまま牢を破壊しながらどこかへと消えていった。
落石が絶えず起こり、時期にこの部屋が崩れ去ることで
閉じ込められていた囚人達は脱走できて喜ぶどころか、
落石に押しつぶされて動けなくなっている者が数多くいたり、
このまま脱出口がなくなってお陀仏になってしまう恐怖にさらされていた。
「ぐうっ…おい、お前は早くここを出るんだ」
多少よろめきながら先輩兵士が剣を軸にして立ち上がる。
かろうじて体を支えている両足がかなり震えている様を見るとどこかの骨を折ったことなど
若兵士にも容易に想像がついた。
「えっ!でも先輩が…」
「とりあえず先にクルム様かなんかとっ捕まえて状況を説明すりゃいい…
早くしねえと手遅れになっちまう!あいつの行き場所は想像がついてる…」
「まさか…」
その言葉に若兵士ははっとなる。
「ああっ…最悪の状況だ…」
彼らが最悪の想定をしたその場所では今、
あるひとつの決戦といえる戦いが始まろうとしていた。
今まであれほどの人々の興奮に沸いていた会場だが今は声を出す者達は誰もいない。
まるで夜の闇のごとく静まり返った闘技場に二人の剣士が相対する。
後ろの控え室からはそっとその二人の姿をのぞく小さな子供二人の影。
準決勝だというのにこの戦いはまるで決勝であるかのようだった。
剣技の国の騎士団長と魔界一の剣客。
そのお互いの瞳と瞳が交差しあう。
この二人に最早言葉というものは必要なかった。
すべてはお互いのために。
試合開始の銅鑼が鳴り響くとともに二人の騎士は構えていた剣を振り上げお互いに挑む。
剣が戦慄く音が絶えず闘技場に響く。
戦いを知らずに育った世代の人間たちはその音が出す振動に耳を痛める。
お互いが出す剣の波動は強力な風を起こし、観客が被っていた帽子を次々と飛ばす。
誰も驚きはするが声をあげることは出来ない。
二人の『弟子』はただその戦いを黙って見守っている。
「くっ!」
「ちいぃっ!!」
人を守るための戦いの術を知らない男。
人を守るための戦いの力を失いつつある女。
二人はこのダル・セーニョの地に生きる誇り高き騎士。
かつては相対するものだった人間と魔族。
そして…自らの迷い…悩みにに対する『答え』を導き出そうとしている男と女。
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