テュービュラーは、あまりよく眠れなかった。
翌朝早く起きて熱いシャワーを浴び、冷たい水を飲む。
着替えて部屋の外に出て、廊下で朝の陽射を浴びた。
まだ太陽は昇ったばかり。皆はまだ眠っている時間・・・。
「おはよう、テュービュラーちゃん」
「あ、ミュゼットさん・・・おはようございます」
ぺこ、と小さくお辞儀するテュービュラー。
「もっとゆっくり寝ていてもいいのに・・・」
「目が覚めちゃったんです・・・たぶん、昨日昼寝したから・・・
ミュゼットさんはいつも、こんなに早く起きてるんですか?」
「ええ・・・朝食づくりのお手伝いするのよ、お城の調理師さんが人手不足だから」
「大変ですね」
テュービュラーが言うと、ミュゼットは首を横に振る。
「早起きしてるのは私だけじゃないわ・・・調理師さんに、料理の材料を届けてくれる人に・・・
新聞屋さんもそうだし・・・それに、見て」
ミュゼットは窓の外を指差す。
早足で歩くクラーリィが見えた。
「クラーリィさん・・・」
「クラは毎朝散歩をしてる・・・最初はリハビリのつもりだったらしいけど、
スフォルツェンドの街の平和な姿を見て回るのが、クラは好きなの・・・」
「・・・」
テュービュラーは複雑そうな表情でそれを見つめる。
ミュゼットはにっこり微笑むと、調理場の方に歩いていった。
二時間ほど後、テュービュラーの姿は食堂にあった。
ようやく、皆と一緒に食事を摂ることにしたのだ。
散歩を終えたクラーリィが、食堂にやってきた。
「テュービュラー・・・ここで食事するのか?」
テュービュラーは黙って頷くと、コップにアイスティーを注ぐ。
「お帰り、クラ・・・テュービュラーちゃんも手伝ってくれたのよ」
パンを盛ったカゴをテーブルの中央に置きながら、ミュゼットが嬉しそうに言った。
「いいことだ、きっとリコーダー姫もお喜びになられるだろう」
先にテーブルについていたパーカスが言った。
「ミュゼットさん・・・ここでは何人くらいの人が、食事する?」
テュービュラーが尋ねる。
「そうね、テュービュラーちゃんを入れて20人ね!
クラを含めた魔法兵団の関係者が8人でしょ・・・
それからパーカス法務官を含めた政治関係者が5人・・・
看護女官長の私と、給仕長さんと、医師団長さんと、総合女官長と、経理長と事務長さん・・・
そんな感じで、テュービュラーちゃんが20人目」
指折り数えるミュゼット。
長いこと空いていた長いテーブルの端の席に、お皿が並べられていた。
食事の時間。
人々が集まってきて、ようやくテュービュラーの姿が見られたと喜ぶ人もいた。
テュービュラーが目覚める前に北の都に旅立ってしまったリコーダー。
戦いが終わった後開かれた宴で、リコーダーから話を聞かされたという。
気分はどうだとか、スフォルツェンドの暮らしはどうだとか、人間の食べ物は好きかとか、
質問攻めにあうテュービュラーを庇うようにミュゼットは隣の席に座った。
どうやら席を替わってもらったらしい。
いつもの彼女の席は、クラーリィの向かいだという。
「どう、テュービュラーちゃん・・・人数の多い食事は、楽しいでしょ?」
「・・・はい、話しかけてくれる人がたくさん居る、すごく楽しいです」
テュービュラーは周囲を見渡す。
50歳ほどの総合女官長と目が合い、笑みを返された。
照れくさそうに、そして嬉しそうに微笑むテュービュラー。
けれども、ある質問をされたとき・・・その表情が、少し曇った。
「テュービュラーちゃんはもう体調もよくなったみたいだけど、
これからはどうする予定なんだ?」
テュービュラーとそう年齢の変わらない、まだ若い兵士だった。
ここに居るということは、おそらく魔法兵団の重役・・・まだ若いのに。
テュービュラーの表情が、不安に包まれたものへと変わってゆく。
それを見て、ミュゼットがテュービュラーに耳打ちした。
「・・・後で、テュービュラーちゃんのお部屋に行っていいかしら」
テュービュラーは、黙って頷いた。
朝の陽射が昼のものへと変わり始める時間帯、
ミュゼットがテュービュラーの部屋を訪れた。
「ゆっくりお話しするのは久しぶりね」
「はい・・・」
テュービュラーは窓辺の椅子に腰掛けて、俯いて返事をする。
「お茶、持ってきたわ」
ミュゼットはティーポットを机の上に置いた。
「クラーリィさん、今日も子供たちと遊んでる」
テュービュラーは窓の外を見ながら、呟くように言った。
「・・・そうね、クラは毎日そうしてる」
ミュゼットは答える。
「朝早くから散歩して、仕事も忙しそうに頑張ってる・・・
そして、少しの暇ができても休まずに、子供たちと一緒に居る」
「そうね・・・」
ミュゼットはただ、テュービュラーの表情を見ていた。
テュービュラーは窓に手を当て、もう一度外を見た。
「身体不自由なのに、どうして?」
テュービュラーが、呟いた。
ミュゼットは、何も答えず、ただテュービュラーを見守る。
「大魔王ケストラー倒して、軍備も縮小されたはず・・・
クラーリィさん大怪我して、手も足も失って、リハビリきっと大変だったのに・・・
どうして彼は、大神官を続けているの?」
「・・・」
「私だったら、やめてると思う・・・続ける勇気、出ないと思う」
「・・・」
「それまでと大きく生活が変わって、どうすればいいのか分からないと思う」
テュービュラーの口から、自分の本音が零れた。
さらに、テュービュラーは続ける。
「人魚姫と同じで、こうなった意味がわからない・・・
私も同じで、これからどうすればいいかわからない・・・
どうやったら私、クラーリィさんみたいに強くなれますか?」
テュービュラーの瞳から、涙が零れ落ちた。
前よりも・・・涙は流れ落ち続ける。
「・・・」
ミュゼットはまだ、何も言わない。
「クラーリィさんみたいに、今の自分が在る意味、見つけられますか!?」
テュービュラーが、そう叫んだ時。
ミュゼットは・・・テュービュラーを、抱きしめていた。
「不安だったんだよね・・・いきなり生活が大きく変わってしまったら、誰だって不安になるよね」
「ミュゼットさん・・・」
優しく語り掛けるミュゼットに、テュービュラーは涙を拭い、言葉に耳を傾ける。
「私も・・・ある」
「え・・・?」
「私も、昔・・・自分の存在している意味が、分からなくなったこと・・・ある」
静かに囁くミュゼットのその言葉に、テュービュラーが目を丸くする。
「ミュゼットさんが・・・?」
自分を導いてくれた優しい声の、母の様な女性。
だから、想像がつかなかった。
嘗て彼女が、自分と同じように、存在の意味に悩んだということが。
「どうして生まれてきたのか・・・どうしてここにいるのかって・・・ずっと思ってた・・・
でも、今は違う・・・私はここに居られるのが幸せって思う」
「・・・」
「私は今ここに生きているのがとても幸せだって、言える」
「・・・」
ミュゼットの言葉が、テュービュラーの心に染み渡る。
「それを気づかせてくれた人たちが、私には居る・・・
そして、テュービュラーちゃんにも・・・きっと、気づかせてくれる人が、居る」
「・・・私にも?本当に・・・?」
「誰にだって、大切な人は居る・・・その大切な人が、自分にそれを気づかせてくれるの・・・
あなたは、その『大切な人』を見つけるために、生まれ変わったの・・・」
ミュゼットは、テュービュラーを強く強く抱きしめた。
テュービュラーはそのぬくもりを感じながら、ゆっくりと目を閉じる。
あの時の、目覚める前の夢と同じ。
穏やかな、暖かい・・・優しい感じがした。
「ミュゼットさん・・・この絵本・・・一緒に開いて、くれますか?」
テュービュラーは、机の上の『人魚姫』を指さした。
ミュゼットは微笑んで、深く頷いた。
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