第五話



テュービュラーは、あまりよく眠れなかった。
翌朝早く起きて熱いシャワーを浴び、冷たい水を飲む。
着替えて部屋の外に出て、廊下で朝の陽射を浴びた。
まだ太陽は昇ったばかり。皆はまだ眠っている時間・・・。

「おはよう、テュービュラーちゃん」
「あ、ミュゼットさん・・・おはようございます」
ぺこ、と小さくお辞儀するテュービュラー。
「もっとゆっくり寝ていてもいいのに・・・」
「目が覚めちゃったんです・・・たぶん、昨日昼寝したから・・・
 ミュゼットさんはいつも、こんなに早く起きてるんですか?」
「ええ・・・朝食づくりのお手伝いするのよ、お城の調理師さんが人手不足だから」
「大変ですね」
テュービュラーが言うと、ミュゼットは首を横に振る。

「早起きしてるのは私だけじゃないわ・・・調理師さんに、料理の材料を届けてくれる人に・・・
 新聞屋さんもそうだし・・・それに、見て」
ミュゼットは窓の外を指差す。
早足で歩くクラーリィが見えた。

「クラーリィさん・・・」
「クラは毎朝散歩をしてる・・・最初はリハビリのつもりだったらしいけど、
 スフォルツェンドの街の平和な姿を見て回るのが、クラは好きなの・・・」
「・・・」
テュービュラーは複雑そうな表情でそれを見つめる。
ミュゼットはにっこり微笑むと、調理場の方に歩いていった。



二時間ほど後、テュービュラーの姿は食堂にあった。
ようやく、皆と一緒に食事を摂ることにしたのだ。
散歩を終えたクラーリィが、食堂にやってきた。
「テュービュラー・・・ここで食事するのか?」
テュービュラーは黙って頷くと、コップにアイスティーを注ぐ。
「お帰り、クラ・・・テュービュラーちゃんも手伝ってくれたのよ」
パンを盛ったカゴをテーブルの中央に置きながら、ミュゼットが嬉しそうに言った。
「いいことだ、きっとリコーダー姫もお喜びになられるだろう」
先にテーブルについていたパーカスが言った。
「ミュゼットさん・・・ここでは何人くらいの人が、食事する?」
テュービュラーが尋ねる。
「そうね、テュービュラーちゃんを入れて20人ね!
 クラを含めた魔法兵団の関係者が8人でしょ・・・
 それからパーカス法務官を含めた政治関係者が5人・・・
 看護女官長の私と、給仕長さんと、医師団長さんと、総合女官長と、経理長と事務長さん・・・
 そんな感じで、テュービュラーちゃんが20人目」
指折り数えるミュゼット。
長いこと空いていた長いテーブルの端の席に、お皿が並べられていた。


食事の時間。
人々が集まってきて、ようやくテュービュラーの姿が見られたと喜ぶ人もいた。
テュービュラーが目覚める前に北の都に旅立ってしまったリコーダー。
戦いが終わった後開かれた宴で、リコーダーから話を聞かされたという。
気分はどうだとか、スフォルツェンドの暮らしはどうだとか、人間の食べ物は好きかとか、
質問攻めにあうテュービュラーを庇うようにミュゼットは隣の席に座った。
どうやら席を替わってもらったらしい。
いつもの彼女の席は、クラーリィの向かいだという。

「どう、テュービュラーちゃん・・・人数の多い食事は、楽しいでしょ?」
「・・・はい、話しかけてくれる人がたくさん居る、すごく楽しいです」
テュービュラーは周囲を見渡す。
50歳ほどの総合女官長と目が合い、笑みを返された。
照れくさそうに、そして嬉しそうに微笑むテュービュラー。
けれども、ある質問をされたとき・・・その表情が、少し曇った。

「テュービュラーちゃんはもう体調もよくなったみたいだけど、
 これからはどうする予定なんだ?」
テュービュラーとそう年齢の変わらない、まだ若い兵士だった。
ここに居るということは、おそらく魔法兵団の重役・・・まだ若いのに。

テュービュラーの表情が、不安に包まれたものへと変わってゆく。
それを見て、ミュゼットがテュービュラーに耳打ちした。

「・・・後で、テュービュラーちゃんのお部屋に行っていいかしら」

テュービュラーは、黙って頷いた。




朝の陽射が昼のものへと変わり始める時間帯、
ミュゼットがテュービュラーの部屋を訪れた。

「ゆっくりお話しするのは久しぶりね」
「はい・・・」
テュービュラーは窓辺の椅子に腰掛けて、俯いて返事をする。
「お茶、持ってきたわ」
ミュゼットはティーポットを机の上に置いた。

「クラーリィさん、今日も子供たちと遊んでる」
テュービュラーは窓の外を見ながら、呟くように言った。
「・・・そうね、クラは毎日そうしてる」
ミュゼットは答える。
「朝早くから散歩して、仕事も忙しそうに頑張ってる・・・
 そして、少しの暇ができても休まずに、子供たちと一緒に居る」
「そうね・・・」
ミュゼットはただ、テュービュラーの表情を見ていた。
テュービュラーは窓に手を当て、もう一度外を見た。

「身体不自由なのに、どうして?」
テュービュラーが、呟いた。

ミュゼットは、何も答えず、ただテュービュラーを見守る。

「大魔王ケストラー倒して、軍備も縮小されたはず・・・
 クラーリィさん大怪我して、手も足も失って、リハビリきっと大変だったのに・・・
 どうして彼は、大神官を続けているの?」
「・・・」
「私だったら、やめてると思う・・・続ける勇気、出ないと思う」
「・・・」
「それまでと大きく生活が変わって、どうすればいいのか分からないと思う」
テュービュラーの口から、自分の本音が零れた。
さらに、テュービュラーは続ける。

「人魚姫と同じで、こうなった意味がわからない・・・
 私も同じで、これからどうすればいいかわからない・・・
 どうやったら私、クラーリィさんみたいに強くなれますか?」
テュービュラーの瞳から、涙が零れ落ちた。
前よりも・・・涙は流れ落ち続ける。
「・・・」
ミュゼットはまだ、何も言わない。


「クラーリィさんみたいに、今の自分が在る意味、見つけられますか!?」


テュービュラーが、そう叫んだ時。

ミュゼットは・・・テュービュラーを、抱きしめていた。


「不安だったんだよね・・・いきなり生活が大きく変わってしまったら、誰だって不安になるよね」
「ミュゼットさん・・・」
優しく語り掛けるミュゼットに、テュービュラーは涙を拭い、言葉に耳を傾ける。

「私も・・・ある」
「え・・・?」
「私も、昔・・・自分の存在している意味が、分からなくなったこと・・・ある」
静かに囁くミュゼットのその言葉に、テュービュラーが目を丸くする。
「ミュゼットさんが・・・?」
自分を導いてくれた優しい声の、母の様な女性。
だから、想像がつかなかった。
嘗て彼女が、自分と同じように、存在の意味に悩んだということが。

「どうして生まれてきたのか・・・どうしてここにいるのかって・・・ずっと思ってた・・・
 でも、今は違う・・・私はここに居られるのが幸せって思う」
「・・・」
「私は今ここに生きているのがとても幸せだって、言える」
「・・・」
ミュゼットの言葉が、テュービュラーの心に染み渡る。

「それを気づかせてくれた人たちが、私には居る・・・
 そして、テュービュラーちゃんにも・・・きっと、気づかせてくれる人が、居る」

「・・・私にも?本当に・・・?」

「誰にだって、大切な人は居る・・・その大切な人が、自分にそれを気づかせてくれるの・・・
 あなたは、その『大切な人』を見つけるために、生まれ変わったの・・・」


ミュゼットは、テュービュラーを強く強く抱きしめた。
テュービュラーはそのぬくもりを感じながら、ゆっくりと目を閉じる。

あの時の、目覚める前の夢と同じ。
穏やかな、暖かい・・・優しい感じがした。



「ミュゼットさん・・・この絵本・・・一緒に開いて、くれますか?」
テュービュラーは、机の上の『人魚姫』を指さした。

ミュゼットは微笑んで、深く頷いた。




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