「あら、シンフォニーくん…どうしたのよ?何か顔がうきうきしてるみたいだけど…」

うまく採用されれば、明日の朝刊に載るはずの記事の文章構成を考えながら
万年筆をくるくる回しているフォルが、
隣のデスクにいて終始顔をほころばせている相方を見て尋ねた。
「昨日、故郷にいる母さんがダージリン入りのクッキーを送ってきたんですよ。
フォルさんも食べませんか?母さんのクッキー、
息子の僕が言うのもなんですが美味しいんで…」
手に小さめのクッキーを持ち、その匂いや味に満足しているといった様子で
彼は箱に入ったクッキーをフォルに差し出した。
しかし、フォルはそんなクッキーに少々苦笑いの様子で首を横に振る。
「ちょっと遠慮しておくわ…クッキー、嫌いじゃないんだけど…」
「もっもしかして紅茶とかダメなんですか?あっ、でもフォルさん紅茶よく飲みますよね?」
少々気まずい雰囲気になりつつも、シンフォニーはあれやこれやと弁解し始める。
そんな自分に気を使ってくれる彼の姿に感謝しつつ、
フォルはひとかけらのクッキーを手に取り、半ばぼやくようにして語りだした。
「嫌いじゃないんだけどねえ…ちょっと思い出が頭をよぎっちゃって…」
「思い出?」
「ええ、知り合いのことでね…話してなかったっけ?」


フォルは両親や兄弟といった家族を数年前に既に失っていた。
俗に言う孤児というものだが、魔族に苦しめられていたご時世では
そういう子は世間には当たり前のようにいたし、
彼女自身別に特別ということは感じていなかった。
ただ、一応こうやって自立するまでは親代わりの存在がいたわけで−
最初は彼女の実の姉夫婦がそうであったが、
彼らが亡くなった後はその友ともいえる人たちの援助を受けていた。
それが元・スフォルツェンドの肖像画担当の画家であったクレフ・ヴォードヴィルと
妻で絵本作家のポプリ・ヴォードヴィルである。
元々スフォルツェンドにいたクレフは文字通り天涯孤独の身となったフォルのことを
家族のように心配してくれて、一時は妻と一緒に
自分の移住先であるアンセムに来ないかと誘ったことがある。
けれども、フォルは頑なにそれを拒否した。
「私にはまだここでやるべきことがあるから」と。
そのフォルの決意に、彼はゆるぎないものを感じ取ってその意見を受け入れてくれた。
そしてその代わりと言っては何だが、
少しばかりだが彼女が本当に自立できるまで援助してくれていた。
フォルもその心遣いに感謝しており、頼れる人だと感じていた。
そんなフォルが所用で初めて、彼らの移住先のアンセムへ行った時である。



「あら、フォルちゃん…久しぶりね。スフォルツェンドにいた以来かしら?」
ヴォードウィル家の戸を叩くと、そこには栗色のふんわりとしたウェーブがかった髪と
眼鏡が特徴の女性がにこやかに応対してくれた。
眼鏡の奥にある瞳は少女のように純粋であったが、
彼女はフォルの姉達とほぼ同い年でもうそれなりの年である。
それでも絵本作家という子供に夢を与える職業を生業としているせいか、
彼女の雰囲気や立ち振る舞いからか十分『少女』と形容してもおかしくはなかった。
「ポプリさん、お久しぶりです。クレフさん、いますか?」
「あらあら…今あの人なら奥のアトリエにいるわ。すぐ呼ぶから…
あなたー!フォルちゃんが来たわよ!」
彼女が可憐な声を少しばかり張り上げて、
家の2階にあるというアトリエにいる旦那に声をかける。
彼はというと、少しばかりの間があった後に。
「ああ、今行くよー…」
とこちらも人のよさそうな雰囲気を前面にかもし出したような声を妻へと投げかけていた。
そして落ち着いた雰囲気で階段から降りてきて、
来訪者の少女に向かって穏やかな笑みを投げかけていた。

「フォルちゃん、久しぶりだね。元気だった?スフォルツェンドではやっていけてるかい?」
深いエメラルドの切りそろえられた髪の毛と穏やかな笑みを絶やさないその姿は
最後に会ったときからちっとも薄れていないなあとフォルは思った。
「ええ、順調にやっていけてますよ。ばりばり記者として働いていますから!」
そう言って無事を報告するかのように、フォルは元気にクレフに向かってVサインをした。
そんなフォルの元気な姿に彼も安心した様子で、
「それはよかった…とりあえず、こんな場所で話は何だからリビングの方へ行こうか?」
「ありがとうございます。」
クレフはそう言って妻のポプリにお菓子の準備を頼みながら、
フォルを自分の家へと案内した。


画家と絵本作家という芸術的センスを用いる職業は
ある意味個性的なセンスを持ち合わせていないと
その作品は売れなかったりするようなものであることは
ジャーナリストであるフォルも幾分か耳に挟んだことがある。
それは彼女のような一般人には
到底理解できないような領域であるというのもザラではない。
けれども、綺麗に整理整頓され、
時折キッチンからの甘い匂いが立ち込めてくるリビングの様子を見て
フォルはそれが杞憂だと分かった。
部屋のいたるところにかけられているクレフ作の絵も
美しい花々や空と共に小鳥たちが囀る瞬間を描写した絵は
彼女の普段忙殺されている心を十分に和ませてくれるものだ。
筆の使い方といい、優しい色の流れといい
流石王家の肖像画を受け持った実力を持つ者だということは十分理解できた。
現在は絵本作家である妻の絵本の挿絵を描いていると照れながら言っていたが、
この絵だけでその作品が何十倍も魅力があるものになることはすぐに予測できた。
「今度、その絵本が出来たら教えてくださいね。すぐにレビュー記事書きますから」
「ありがとう。ポプリも喜ぶよ」
「いえいえ、お世話になってるのは私の方ですから…」
幾分謙遜した表情でフォルが言う。
やはり離れていても自分のことを心配してくれて、
援助までしてくれている人であるからだろう。

「そういえば話って何かな?」
笑みを絶やす事無く、クレフはフォルの向かい側に座って尋ねる。
「あっ、すっかり忘れるところだった…
えーと、クレフさんの腕を見込んでお願いしたいんですけど、
ちょっと取材でこの人の似顔絵が必要になって…」
フォルはそう言うとジャケットのポケットから
ややしわくちゃになったメモを取り出して、クレフに見せた。
「フンフン…なるほどね…」
クレフはその細い目を少しばかり見開かせながら
(といってもフォルにはずっと細い目のように見える)、
フォルの書き込んだその人物の特徴を掴んでいた。
そしておもむろにその場にあった鉛筆を走らせる。
たったの数分で出来た彼の絵はその人物の特徴を余す事無く掴んでいた。

まるでその人物が目の前にいるかのように−
まるで魔曲によって召還されたもののようにそこに存在していた。
クレフはまさに絵の魔術師と言っても過言ではないとフォルは思った。



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