「ありがとうございますー…しかし凄い絵ですね。本当にこの人がここにいるみたい…」
お世辞でも何でもない、純粋にクレフの絵に感動したからこそ出る一言が
フォルの口から漏れた。
「いやいや、僕はただ単に絵を描くのが大好きだから。
こういう言葉の一片一片に隠れているイメージは…僕の創作活動にも十分役立つしね」
そういうクレフに対し、フォルはそんな単純な言葉一つでこれほどまでの絵を生み出せる
クレフの姿に感服していた。
やはり彼の芸術家としてのセンスは並大抵ではない。
こんな彼が童話というメルヘンな世界を繊細に描き出す妻と組めば、
それはそれは純粋に後世に読み継がれる絵本を描くことができるだろうと思った。

(やっぱり…この人は凄いわ。
っていうかこの人自体がいい人すぎて、夢の国の住人みたいだもの…
だからこそ、あんな素敵な絵を描けるんでしょうけど…)

ただそれも、過ぎてはいけないということをフォルはそのすぐ後に知ることになる。


「あなた、フォルちゃん。クッキーが今焼けたんだけど食べないかしら?」
そう言ってクッキーを持ってキッチンから出てきたのはポプリだった。
「ああ、ちょうど3時か…おやつの時間だね。じゃあ頂こうか。
フォルちゃんも遠慮しないでいいんだよ。夫の僕がいうのもなんだけど、
ポプリの作るクッキーは世界一の味なんだ」
「まあ、あなたったら…」
純粋な気持ちで惚気けて、メルヘンな二人の世界に突入していることに
にフォルは少々引き気味だったが、
クッキーから発せられる甘い匂いには涎をそそられた。

「じゃあ…お言葉に甘えて一つ…いただきまーす。」
そう言ってフォルがポプリ作の特製クッキーを一つつまんで、口の中に放り込んだ。
そして口の中でその素敵な味を噛み締めようとしたその途端…

「!○&△#%*?!$¥ΩΣ!!!????」

ジャーナリストの彼女の口を持ってしてでも表現できない
刺激的な味がフォルの口の中で繰り広げられていた。
甘くもないし、すっぱくもない、苦くもないし…
言うなればそれらが全て絶望的に混ざり合った味といえよう。
そしてこれが単純にマズイ…といえないところがまた凄いことで。
フォルは苦し紛れに、水を欲しがり二人の目の前で一気のみをした。
それでもまだ舌の上ではあの味のカーニバルが繰り広げられている模様で…

(ったく何なのよ、この味ー!!なんていうか複雑すぎて言葉にもできないけれど…
っていうかお世辞にも美味しいっていえない料理
よく人のいいクレフさんでも食べれるわね…)

そう思いながら、彼女は同じくポプリ特製クッキーを食べたクレフの方へ視線をやった。
しかし、そこにはにこにこと笑みを絶やさずに「美味しいよ」と言って
何個もそのクッキーを食べている彼と
同じようにそれをつまんでいるポプリの姿があった。

「うん、今日もポプリの特製クッキー、ドンラゴス竜味は美味しいね」
「ええ、ライエルさんの水の精霊さんが持ってきてくれたのよ…『よかったらどうぞ』って」
「へえ…水の精霊さんか…」
「今日も面白いお話を聞けたから、絵本のお話のアイディアが一つできたわ…
 また挿絵の方よろしくね、あなた」
そんな夫婦の会話に今一ついていけないフォルは顔にクエスチョンマークを浮かばせていた。


「えっえーと…ドンラゴス竜とか水の精霊とかってどういうことッスか…」
「ああ、そうかフォルちゃんは知らなかったんだよね。ポプリはね、絵本作家なんだけど
『精霊』を見て、会話できる能力を持っているんだ…僕らには見えないけれどね」
そう言ってクレフは隣にいるポプリに目をやった。
「特にアンセムには精霊を使う魔曲使いの
ライエルさんとサイザーさんの夫婦がいらっしゃるから、他の地域よりも精霊が多いのよ。
このクッキーの材料になっているドンラゴス竜の涙は
昨日ライエルさんのところで召還された水の精霊さんが
『いつもご主人様がお世話になっています』って送ってくれたものなのよ」
随分律儀な精霊もいたもんだと思いつつ、
そんなフォルにとっては聞いたことのない得体の知れない材料をクッキーに混ぜた
ポプリの考えがよく分からずに、頭を抱えた。
けれどもそんなポプリの料理に対し、夫のクレフはというと何の疑いもない純粋な口調で

「でもポプリの作るクッキーはやっぱりいつも美味しいよ。
パンドラさんからご馳走になった「サルの脳味噌」も捨て難いけれど…」
「ああ、あれはライブな味で美味しかったわね。
今度パンドラさんに作り方を教えてもらおうかしら?
早速うちのメニューに組み込んでみるわね」
「ありがとう、ポプリ」

フォルは一連のこの会話で確信した。
クレフはやせ我慢をしているわけではない。
というかむしろクレフの味覚は自分のような通常の人間とどこかずれているのだ。
職業柄メルヘンな世界に没頭するのは一行に構わないが、
その味覚までメルヘンになってしまっているこの二人に二度と食事を作ってもらいたくない−
フォルは心底そう思った。
そしてこの二人もまた、やっぱり独特の感性を持つといわれる
芸術家の法則に当てはまる人間なんだとも思った。



「…なーんてことがあってね、それ以来クッキーが少々苦手になったってわけ。
勿論、クッキーが美味しいことは分かってるんだけどね」
「はあ…」
ここまでのフォルの話を聞いて、シンフォニーは苦笑いを浮かべるほかなかった。
「でも精霊が見えるっていうのは素敵ですよねー…どんな話を聞いてるんでしょうか?
ポプリさんって…」
「さあ、結局その後は逃げるように帰ってきちゃったし…分からないわ。」
首を竦めながらフォルが言う。
そんな会話をしていると、編集社のドアを叩く音がした。

「すいませーん、フォル・クローレ様宛に小包が届いていますー」

フォルとシンフォニーはすかさずその小包を受け取り、中身を開けた。
彼女は薄々予想はしていたが、差出人はクレフ達からだった。
「あっ、そうか…クレフさん、仕送りしてくれたんだ…毎度感謝します」
まだ駆け出しの新聞記者であるフォルにとっては
クレフからの仕送りは貴重な生活費になるのだ。
けれども小包で届いたということは違うものも入ってるということで…
「あっ、なんか小箱と手紙が同封されてますね。」
シンフォニーが同封されていた手紙を手にとって、ちらりと見てみた。
しかし、暫くたつと彼の顔が硬直しているのがフォルには明らかだった。
「ちょ、シンフォニーくん、どうしたのよ…」
すかさず、フォルも彼の持つ手紙をみて驚愕する。
そして思わず口にだして、その手紙の文面を読んでしまった。


「『フォルちゃん…いつもお仕事ご苦労様。いつもなら仕送りだけで済ませていたのですが、
今回はポプリ特製の『サルの脳味噌』ベースのケーキを付けて置きます。
美味しいので、是非新聞社の方々と一緒に食べてね。 クレフ・ヴォードウィル』…」

「フォルさん…どうするんですか…これ…」
綺麗なケーキであるはずなのに、
そんなことを聞いてしまってすっかり脅えてしまっているシンフォニー。
隣のフォルはというと…
「でっでも…クレフさんが親切で送ってきたものだから…このまま捨てるわけにもいかないし。
っていうか『是非新聞社の方々と一緒に』って書いてあるじゃない!
しっシンフォニーくんも一口どう?」
「いっ嫌ですよー!!!」


このままではケーキまで苦手になってしまうと思った二人であった。