「……………………」
彼女たちが弟のように見知った一人の少年がこんなむくれた顔をするとは一体何事だろう?
ポットから注がれたばかりの暖かいハーブティに口をつけつつ、
スフォルツェンドの看護女官・ミュゼットと女医・カデンツァは
お互いに顔を見合わせながら、同じことを考えていた。
何しろ彼がこういった表情を見るのは二人とも初めてのことだったから
驚きは尚更のことであった。
いつもなら純粋な瞳で笑っているか、困った顔をしているか、
それとも泣きそうな顔をしているか…
その3つのパターンしか彼女たちがお目にかかったことは無かった。
そんな二人から奇異の眼で見られている当の本人はと言うとむくれた表情を変える事無く、
カデンツァが差し出してくれたハーブティで心を落ち着かせようとしていた。
「シンちゃん……一体、何があったの?」
改めて、ミュゼットがそんな表情の彼に母のように尋ねてみる。
一方のカデンツァはこういう温厚な人間が一度機嫌を損ねたり、
怒ったりすると結構怖いものであり、
それがまた滅多なことでしか起こらないことも知っていた。
だから、彼女もミュゼットと同じくその理由が何となく知りたかったのだ。
彼にとってそれまで腹が立ったこととは一体何なのかを。
彼女の思考の中ではあらかた彼の様子を見て、大方予想がつき始めてはいたが。
その理由の最もなものとしては、ここにくる際
『いつも彼の側にいる筈の者がいない』ことにあった。
そしてミュゼットの言葉に付け加えるようにして、尋ねる。
「フォルちゃんと何かあったの?」
「…………まぁ…」
いつもの彼にしてはぶっきらぼうな口調で彼女の質問に答える様を見て、
彼女は何だかんだいっても彼もまた一人の男性なのだと教えられているようだと思った。
その16歳という年齢にして見れば、少々垢抜けた幼い顔つきであってもそれがよく分かる。
一方の彼はというと差し出されたハーブティを二人の目の前で一気飲みして、
コップを置いてまた自分の心を冷静にさせるために胸に手をあてて、深呼吸をしていた。
そしておもむろに二人の目の前でこうなった理由である出来事を語り始めていた…
時は数日前に遡る。
いつものように『突撃取材』と称して、
彼とフォルはこのスフォルツェンド王宮に不法侵入していた。
そんな矢先に思いもかけぬ再会を果したのが、
嫁いでスフォルツェンドを出た魔法機械整備士・ヴィヴァーチェであった。
話を聞くと、実家に忘れ物をしたらしくそれを取りに一時的に戻ってきたとのこと。
忘れ物を取ったら、手短に皆に挨拶をしてすぐ帰るとの話しであった。
「お二人さん、取材の調子はどうかしら?」
何気なくヴィヴァーチェがこちら側の近況報告を聞きたそうに尋ねてくる。
「元々僕たちは不法侵入者ですから…中々取れる情報も少なくて」
苦笑いしながら、シンフォニーがそれに答える。
「このただでさえ広いスフォルツェンド城を調べ尽くすのは中々上手くいかないしね〜…
あっちの壁に遮られた場所なんかも覗きたいんだけど…
一回よじ登ろうとしたらクラーリィさんに止められてゲンコツ喰らったんですよ。」
フォルが子供のようにぶつくさと文句をいいながら、
まだ赤くはれ上がっているたんこぶの跡をヴィヴァーチェに見せていた。
彼女はそんなフォルの姿にどこか可愛らしいものを感じつつ笑っていたが、
フォルの言葉で一つ遠い記憶の彼方にあったものを思い出した。
「あっ!それなら…ちょっといいものがあるかもしれない。
二人ともちょっと来てくれないかしら?」
ヴィヴァーチェはそう言うと二人をあるところへと連れ出した。
彼らの到着したところは、スフォルツェンドの外れにある
天才発明家・オリンの以前の家兼ラボラトリーであった。
ヴィヴァーチェも結婚前にはここの工具をオリン並みに自在に操り、
様々な発明品を作り出していた。
そんな訳でよその家であっても彼女はここにあるものの内容は
家主が現在いなくても熟知していている。
故に無造作に詰まれている発明品の中から
目的の品を探し当てるのにも苦労することは殆ど無かった。
そして、取り出されたそれはおもむろに
作業台であったテーブルにことりと音をたてて置かれた。
「これ、何ですか?ヴィヴァーチェさん…」
ボール状の物体を眺めながらシンフォニーがおもむろに尋ねる。
「これはね、私が随分前に作ったはいいんだけど使わなかったものなのよ……
漫画を見ててただ作りたくなっただけだったからね。
小型衛星でね、こうやってスイッチを入れると…」
ヴィヴァーチェがそう言いながら色々設定をしてスイッチを押すと、
その衛星はふわりと空中に浮き始め、
彼女たちの周りをふわりふわりと浮き始めた。
「こうやって浮いて目標を追跡できるのよ。
勿論、自分たちの代わりに撮影機能も行なってくれるわ」
「こんなに小さいなら色んな場所にも行けるってことですよね、
ヴィヴァーチェさんすごーい!!」
フォルはそんな衛星の機能に身体全体で喜びを表現するかのように、
彼女と衛星に拍手を送っていた。
「勿論、これはフォルちゃん達にあげるわ。
たぶんココに埋もれているより使われたほうがこの衛星にとっても良いと思うしね…」
ヴィヴァーチェはそう言うと衛星のスイッチを切って、それをフォル達へ手渡した。
「うわー!ありがとうございます!!」
「よかったですね、フォルさん。これで取材もはかどりますね。」
「ええっ、目標追跡機能があるからクラーリィさんとか一発で分かるし、この大きさなら
私たちが行けないようなところでも撮影できる…し…」
衛星の利点を語っていたフォルの口調が突如として止まり、
シンフォニーとヴィヴァーチェは一瞬驚いた顔になる。
「どうしたんですか…フォルさん?」
何かを深く考え込み始めた彼女を心配するかのようにシンフォニーは不安そうに言う。
すると彼女はぽんと自分の両手を叩き、何かを閃いた様子だった。
そしてそのままおもむろに両手で、シンフォニーの肩を叩いた。
そしてその口からとんでもない一言が発せられた。
「シンフォニーくん…今までどうもありがとう」
真顔でいきなりそんなことを言われたシンフォニーは
一瞬自分が何を言われたのか理解できなかった。
そして頭が真っ白になりそうなところを必死に自分で引きとめて、
何とか彼女に向かって言葉を紡ごうとした。
「あっ、あの…フォルさん…それって一体…どういう…」
「だってシンフォニーくん脅えて肝心な場面でシャッターチャンス逃すしさ…
でもこの衛星使えば、そういう心配なくなるってことでしょ。
だから私、これからはちゃんと自分の手で特ダネをゲットしてみせるわ…
迷惑かけてごめんね、今までどうもありがとう…」
そんな彼に対して、彼女はいつもと変わらないあっけらかんな態度でそう言ってくる。
つまり、これは自分がその機械より格下と扱われたということだと気がつくのに
そう時間はかからなかった。
そして思わず涙目になりながら彼女に訴えた。
「なんでそんな別れのシーンになるんですか!!
そりゃあ僕は脅えてシャッターチャンス逃したりしますけど…けれども…
僕はカメラマンとしてやっぱりフォルさんのお手伝いをしたいん…で…」
そうシンフォニーが俯いていた顔を見上げて、
彼女の姿を確認しようとするも彼女の姿はどこにもなかった。
思わず彼はあたりをきょろきょろ見回すも姿はどこにも確認できない。
すると、ヴィヴァーチェが気の毒そうに彼に呟いた。
「フォルちゃん、衛星持ってもう飛び出しちゃったわよ…」
そんなヴィヴァーチェの一言に
シンフォニーの中で今まで芽生えるはずの無かった感情が生まれ、爆発した。
そして彼女にろくに挨拶もしないまま、そのまま黙ってラボを後にしていった。
その一連の騒ぎでただ一人ラボに取り残されたヴィヴァーチェは
冷静に二人の様子を思い返して思う。
(なんか…離婚寸前の夫婦の会話みたいだったわね………)
けれども彼女は別段どうこうしようとは考えずに、
手早くラボから自分の探し物を取り出して、
手短に皆に挨拶を交わしそそくさと実家に帰っていった。
別に自分がどうこうしなくても、あの成り行きは
ちょっとやそっとのことでは変わらないと信じていたからだ。
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