あの後、自分のいきさつを聞いた彼女らは、自分達の故郷へリートを連れて行ってくれた。
怪我が無いか診るのも目的だったようだが。
あの女隊長の部下には兵士の他にも楽しい仲間が居て、
若草色の髪の優しいお医者さんや、機械をいじる器用なお姉さん、
美味しいお菓子を作ってくれるお姉さん・・・色んな人が居たことを覚えている。
大きな白いお城と、村とは比べ物にならないほどのたくさんの人たち。
瞳の色も髪の毛の色も肌の色も様々な、たくさんの人たちが行き交う大きな街。
閉鎖的社会に生きてきたリートにとっては何もかもが新鮮すぎて、
幼い自分は一度に全てのことを覚えきることはできなかった。
きっと今その街を見れば、あの時わからなかったことも少しはわかるだろう。

それから少しの間スフォルツェンドに居て。
スフォルツェンドの街外れで、一人の男性、薬剤師のノクターンに偶然出会い、
拾われたのかよくはわからないけれど、一緒に暮らすことになった。
とても、居心地がいい家。
あの女性がいつしか居なくなっていることに気づいたのは、それから暫くして。
旅をして、色んなところに行って、たびたびスフォルツェンドのノクターンの家に戻ってきて。
リートは風のように旅をするけれど、あの女性と会うことはなかった。
手を尽くして探し出そうとは、思っては居ないけれど。
また会えるといいな、と願っている・・・あの人。

・・・久しぶりの、スフォルツェンド。



数日旅を続けて、スフォルツェンド近くの丘へと差し掛かったリート。
あの丘を登りきればスフォルツェンドが見える・・・そう思ったとき。

何かの音楽が、聞こえてきた。

曲はメンデルスゾーン作曲、無言歌『楽しき農夫』。
クラリネットの、軽快な音色だった。


音楽が聞こえてくるほうへ、引き寄せられるかのようにリートは向かっていた。
丘を登ると、その頂上の草原の上に、人影が見えた。



クラリネットを吹いているのは、15歳くらいの少女だった。
黄色い宝石の甲冑。薄紫色のマント。
薄青色の髪の毛に飾られた、桃色の羽。

「・・・」
リートは、あの時の女性そっくりの姿をした少女を目の当たりにし、少し驚いた。
しかし、よく考えればあの時から20年、あの女性が少女なはずはない。
少女は、クラリネットを吹いている。
曲の軽快なリズム同様、彼女も楽しそうに演奏していた。



曲が終わった後、リートは拍手をした。
この曲はその普通の音楽とは別物に感じた。
聴いているだけで本当に楽しい気持ちになるのだ。
拍手を聞いた少女は振り返り、リートに一礼し・・・微笑みかけた。
「こんにちは」
「・・・こんにちは」
リートも、挨拶を返した。
自分が幼い頃に見た女性よりも、彼女は幼く見える。
しかし、雰囲気はとてもよく似ていた。
雰囲気だけではなく、顔立ちもよく似ている。
薄い青色の髪の毛は思い出の中の女性とそっくりだ。
しかし、瞳の色は違う。
あの女性はコバルトグリーンの瞳であったことは、幼かった自分もはっきりと覚えている。
だがこの少女の瞳は琥珀色だ。

「曲を聴いてくださって、ありがとうございます」
少女はそう言って、微笑んだ。
この少女はとてもよく似ている・・・と、リートは思った。
『リーちゃんの瞳はとても綺麗ね』と、微笑んでくれたあの笑顔と、
この少女の笑顔は・・・同じだったのだ。

「古いクラリネットだね」
「はい、確かに古いですね・・・もう作られて三十年近くなりますから・・・
 普通の見た目ですが一応魔器なので、壊れることはまずありませんよ」
「魔器?」
「はい、魔力が込められた不思議な楽器なんです・・・母から、譲り受けたものです」
少女は、そう言ってにっこり笑った。
どうやらその楽器は、とても大切なものらしかった。

ああ、なんかいいなぁ・・・と、リートが思ったとき。
少女が言った。
「私、ポリフォニー・・・ポリフォニー・ユーフォニウムといいます・・・
 スフォルツェンドには、母の里帰りで来ました・・・
 あと一週間くらいはこちらに居ます・・・毎日この時間は、ここでクラリネット吹いてます・・・
 またよろしければ聴きに来てくださいね」
「ポリフォニー・・・ちゃん・・・?」
リートが、その名前を口にした。
けれども気になったのは、彼女の苗字。
『ユーフォニウム』というその姓を、自分はどこかで聞いたことがあったはずだ。
「ユーフォニウム・・・」
リートが呟くと、ポリフォニーは苦笑いを浮かべた。
「あ、やっぱり知ってますか?母上、ちょっとした有名人ですからね、このスフォルツェンドでは」
「・・・」
「今は魔族も人間もけっこう仲良くやってますけど、ほんの少し前までは違いましたよね?
 母は昔から魔族を協力関係を築けないかと考えていたので、
 『スフォルツェンドの異端児』と呼ばれていたんです」
「あ・・・」
「今はスフォルツェンドも魔族の兵士さんを雇ってますし、
 世の中・・・わからないものですよね・・・
 異端児だった母も、今は人間と魔族の和平のシンボルのひとつになってますし」


『異端児』という言葉に、リートは反応した。
何度も自分が囁かれてきた言葉。
そして、はっきりと思い出した。
あの時、あの女性は・・・自分が、そう呼ばれていることを知って。


『今は分かり合えなくても、いつかきっと受け入れられる日が来るから・・・
 日の出があれば日の入りはあるし、日の入りがあれば日の出があるように・・・
 だからそれを信じてね、この世界を・・・見捨てないでね』


そう言って、幼い自分を抱きしめてくれたのだ。
彼女の、あの言葉は・・・
当時のスフォルツェンドの在り方を嘆き反乱までも考えて、
・・・それでも祖国を見捨てられなかった者の、本音だったのだ。
ポリフォニーの言ったことから彼女の言葉の真意を思うと、
リートは胸に何かが込み上げた。


名前は・・・・彼女の、名前は。

アダージョ・ユーフォニウム。


やっと、見つけた。



「また、聴きに来てもいいかな」
リートが言うと、
「はい、もちろんです」
ポリフォニーは、明るい笑顔を向けた。


自分が歩いてきた道を、暗闇だと思ったことは無い。それは今でも同じだ。
けれども今ここに立ってみて、これほどまでに世界を眩しく感じている。
今までよりもずっと、世界が光に溢れているように思った。
彼女が言ったように、日の出が来たのだ。

リートの蒼紫色の・・・日の出の頃の空と同じ色の瞳が、光に照らされて輝いた。



「あ、母上!」
ポリフォニーが、リートの背中の向こう側に向けて手を振った。



リートはゆっくりとその方向を振り向いた。




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亜川さんのオリハキャラ「リート・オーネヴォルテ」くんの設定を元に光野が書き起こしたお話です。
ノクターンさんなどのキャラクターが増えて設定が変わってきたので、改めて書きなおしました。
あ、もうお察しとは思いますが、アダージョが居なくなったのは嫁に行ったからです。