「あの・・・私、お手伝いしましょうか?」
そこに、ふわりとした愛らしい声が響いた。
その声の方向を驚いたように見る二人。
「カノンちゃん!!」
リコーダーは思わず叫んだ。
そこに立っていたのは、クラーリィとミュゼットの長女、カノン。
リコーダーとヴァルヴにとっては同い年である。
「カノンちゃん久しぶりー・・・でもどうしてここに?」
「母から、カデンツァさんへの届け物をことづかってきたので・・・
 すると、この雨で・・・止むまで待たせてもらうことに・・・
 あの、でも、リコーダーちゃん大丈夫なの・・・?」
「大丈夫大丈夫!あ、そっか、カノンちゃんお裁縫上手だもんね!
 カノンちゃんなら、このブラウスの羽を出す穴も綺麗に早く作れるよねっ」
「そ、そんな得意だなんて・・・でも、早く着替えたほうが!
 リコーダーちゃんもヴァルヴくんも、風邪を引いたら大変だから」
不安そうなカノンに大丈夫よと笑いながら、リコーダーはヴァルヴに耳打ちする。

「カノンちゃん自分の方を心配したほうがいいと思うわ・・・
 クラーリィさん絶対に大騒ぎだもの、『カノンたんが帰ってこない!』って」
「そうだな・・・ていうかたぶんノクターンさんのところにお遣いってだけで
 クラーリィさん心配で錯乱してるんじゃないのか・・・?」
二人の言うことは的確である。
「そうそう、『あの恐ろしい二人組のアジトなんぞに、
 カノンたんを行かせられるものかー!』とか言ってそうよね・・・
 そこをミュゼットさんに止められてるんだわ、
 『あなた、カノンの自立を妨げるようなことをしてはいけません・・・
  これ以上言うなら、塩酸クロルプロマジンを覚悟しておいてください』とか」
「うわー、前例があるから簡単に想像できるなぁ、その光景・・・
 ていうかクラビとかヴィオリーネちゃん大丈夫なのか?
 そんな状況下で魔法とバレエをあの二人に習いに行ってて・・・」
「あーん、私も見たかったぁその状況!お兄ちゃんもヴィオリーネもずるい!
 私も恐妻と下僕亭主の素晴らしきセレモニーを観覧したかったのにっ!」
「勝手に人の家の修羅場を楽しむんじゃないっ!カノンちゃんに失礼だろっ」
リコーダーとヴァルヴのそんなやりとりを、笑顔で見つめるカノン。
(二人とも、いつも仲良しで素敵ね・・・)
などと思っているらしく、ふんわり微笑んでいた。


それからカノンの手伝いで服を着替えたリコーダーは、タオルで羽根を拭く。
そこに着替え終わったヴァルヴも戻ってきて、羽根を拭くのを手伝った。
「ごめんなさいね、実験装置が電気食っててブレーカーが心配なの」
カデンツァが謝った。
リコーダーの羽根はすっかり雨水を吸って重くなっている。
これでは飛ぶこともできそうにない。
しかしリコーダーはカノンやリートやカデンツァと話せたおかげで
すっかりリラックスしているようである。

「実は私がここに来たのは、ノエルに本を頼まれたから、というのもあって」
「ノエルくんすっごく頭いいんだよね?難しい医学書もサクッと読むって!
 すごいなぁ、将来はカデさんレベルの天才ね!」
「あら素敵、ノエルくんに今から知的好奇心を満たす素晴らしさを教えなきゃ」
「はい、母もカデンツァさんにノエルの才能を伸ばしていただければと
 日々申しておりまして・・・」
女性陣はそんな話をしながら時間を過ごす。
ヴァルヴはだぼだぼの服のまま、リートがお茶を淹れるのを手伝う。
そんなこんなで時間は過ぎて、通り雨もすっかり止んだ。



「雨も止んだし、そろそろクラーリィさんの家に向かおうかな・・・
 お兄ちゃんたちも魔法とバレエのレッスンは終わっただろうし」
リコーダーが立ち上がる。
「お父様が心配していると思いますし」
カノンも言う。
「待って、私たちも一緒に行くわ」
ラボに戻っていたカデンツァが言った。
カデンツァは『こんなに帰りが遅くなるなんて!
あの野郎共、カノンたんに何をした!』などとクラーリィが騒ぐだろうから
その弁解を引き受けるためだろうなとは何となく想像がつく。
しかしノクターンまで外出なんて珍しい・・・と思うリコーダーたちだが、
彼の手にカプセルが数個入った小瓶があるのを見て、全て悟った。


「カノンちゃん、心配いらないのよ?
 少し帰りが遅くなったけれど、あなたは悪くないもの・・・
 私たちからもちゃんとクラーリィさんに説明してあげるから」
「ありがとうございます、カデンツァさん」
カデンツァにほのぼの笑いかけるカノン。
天才女医が言うその『説明』の方法とやらはどんなものなのか・・・
それもやっぱり前例があるだけに想像がつくことだ。
しかも、絶対にカノンの母ミュゼットも加担すること間違いなしだ。
知らないってことは幸せだなぁと、ヴァルヴとリコーダーは思った。



一同はノクターンの家を出ると、クラーリィの家に向かった。

「ミュゼットちゃんにその薬を渡せば、確実に実験データが取れますね」
「ああ・・・」
天才二人はすっかり実験モードだ。
雨上がりの空は少しずつ雲も晴れ明るさを増し、
通り雨の後特有の少し冷えた空気が、まだ静かな街を包んでいる。


「・・・あら」
カノンの声がして、一同足を止める。
その先には、助走をつけて飛び越えるのも無理くらいの、大きな水溜り。
「排水溝が壊れてるのかな?やだなー羽濡れてて飛べないのに」
リコーダーが言った。

「仕方ないな、せっかく靴乾かしたのに」
ヴァルヴは水を飛ばさないように気をつけて水溜りを渡る。
向こう側でまだ他の5人は立ち止まっている。
「私たちは田舎育ちだからこーいう事態には慣れてるけど、
 カノンちゃんは・・・どうしよっか」
リコーダーが言う。
それを聞いてヴァルヴも成る程と納得する。
お嬢様は、水溜りにバシャバシャ入るなんてことはしないのだ。
「でも・・・このままだと、お家に帰れませんし」
カノンがそう言って、靴が汚れることは覚悟で渡ろうとしたとき。

「・・・カノンちゃん」
リートが、カノンに声をかけた。
「え?」
リートは、優しくカノンを抱き上げる。
そう・・・あの、『お姫様抱っこ』だ。
「大丈夫だよ・・・」
リートは言う。
「あ・・・あの、その・・・」
カノンは少し戸惑っているものの、異性に抱き上げられることに対する
恐怖とか嫌悪感、あるいは照れなどといった表情は全く見えない。
常に落ち着いた、穏やかな雰囲気を持つリートであるからこそ、
男と触れる機会が殆ど無かった純粋培養のカノンも怖がることは無い。
これが他の異性であればそうはいかないだろう・・・
それがたとえリコーダーという相手が決まっている、ヴァルヴですら。


水溜りを無事渡ったリートは、カノンをそっとおろしてあげる。
「わー、リートさん紳士!素敵!」
リコーダーが言った。

それを聞いてヴァルヴは少し複雑な気持ちになる。
思い出すのは、この前のアンセムの、ヴォードヴィル夫妻のこと。
ああやってリコーダーを横抱きにして運んであげることは出来ない。
戯れごとならまだいい。
けれども、リコーダーを守ってあげなければいけない時すらも、
それが出来ないのは嫌だ・・・・


「リコーダー、待ってろ」
「え?」
突然ヴァルヴに言われ、きょとんとするリコーダー。
「羽が濡れてて飛べないんだろ?オレが背負ってやるから」
そこにヴァルヴの、その言葉。
リコーダーは驚く。
「え、別にいいよ!だって一度靴濡れたんだから・・・」
「でもそういうわけには・・・」
ヴァルヴがまた水溜りを通って、リコーダーの方に行こうとした。

しかし。
「・・・」
ノクターンが片手に薬品が入ったケースを持ったまま、もう片方の手で、
まるで父が幼い娘を抱き上げるかのように軽々とリコーダーを抱き上げた。
「わあ、ノクターンさん!」
リコーダーは嬉しそうな顔をする。
「!!」
それにガーン、となるのはヴァルヴ。
「ありがとうノクターンさん!でもすごーい、高ーい!」
リコーダーが嬉しそうなのは、まさに子供と同じ理由なのだが、
それでもヴァルヴは十分ショックらしい。
「あらあら」
カデンツァは苦笑した。



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