「てやああっ!!」
「遅いっ!!」
今日も今日とて朝日が昇ろうとする早朝。
ダル・セーニョ城の庭では剣のぶつかり合う快音が響く。
戦っているのはまだ10にも満たない父親譲りの水色の髪が特徴の少年と、
30代後半くらいの銀髪の大柄の男性である。
しかし男性は人間ではない。
人間ではありえないとがった耳から頬、腕から手の甲にかけて
彼の皮膚は硬い緑色の鱗で覆われている。
そう、彼は魔族である。
彼の名はブラッダー。
元・魔界軍王の幻竜王であった魔界の剣客。
彼の太刀が少年の剣を吹き飛ばし、この戦いの決着がついた。
「ありがとうございました!」
今日も稽古という名の実践めいた模擬試合が終わった。
少年は丁寧に彼にお辞儀をした。
まだ6歳というのにこの礼儀正しさは単に王家の者というだけでは備わらない風格である。
この少年の名はオフィクレード・ボーン。
このダル・セーニョ王国の国王トロン王と王妃コルネットの間に生まれた第一子であり、
先日まで人間と共に生きることを忌み嫌う魔界軍保守派と戦った勇者リコーダーの
パーティの一員だった立派な少年剣士である。
彼は父親譲りの剣技と母親譲りの法力を使う魔法剣士だ。
そんな彼の剣の相手ができる人間は父親やよっぽどの腕の持つ剣客に限られており、
公務で忙しい彼の父親に代り、今では彼の師匠の一人として
稽古相手になっているのがブラッダーである。
ブラッダー自身は魔界で有数の剣客として当初強さを求めたがゆえに人間と共に生きる平和を嫌い、
この国の国王であり、20年前の戦いのときに当時の魔界一の剣客超獣王・ギータを倒した
剣技の国の王・トロンに牙を剥いた。
しかし勇者リコーダーとその仲間達、そしてここで今稽古の相手をしているオフィクレードの
力により今は本当の強さに必要なことを学び取り、
今はダル・セーニョ国の傭兵といった形で城に住んでいる。
「大分、前に比べて炎の召還が早くなったな」
「はいっ!魔法の詠唱時間を短くできるように特訓したから…」
やはり子供なりに褒められるのがうれしいのかオフィクレードは少し照れたような笑顔を彼に見せる。
そんなオフィクレードの姿をブラッダーは微笑ましく思っていた。
「まだまだ課題は残っているがこの調子ならもっと強くなるだろう。
いつかはこの俺でさえもお前は越えてゆくだろう」
ブラッダーはさっきの剣の衝撃で木に突き刺さったオフィクレードの剣を引っこ抜いて彼に渡した。
「でも、ブラッダーまた一段と強くなった気がするよ…」
少し苦笑いを浮かべながらオフィクレードが答える。
「そうか?」
彼自身はあまり自分の強さを意識していなかった。
最初はこんなぬるい場所で強くなどなれるはずがないと思っていたのに…
平和なんて馬鹿馬鹿しいものだとしか思っていなかったのに。
それでもこの環境で彼は強くなっていた。
改めてそれを教えてくれた彼の父親に感謝の意を送る。
そして改めて彼に尋ねる。
「王子、俺はどのくらい強くなったと思う?」
「えっええ!?…どのくらいって言ったって…う〜ん…」
その質問にしっかり者といえどもまだ幼いオフィクレードは困惑した表情を浮かべる。
そして父親の子供の頃のようにあぐらを描きながら木の根元の方に座りぶつぶつと何かを言い出した。
子供なりに一生懸命考えている証拠である。
「おっ王子…?そんなに無理に考えなくても…」
「いやっ!大丈夫だよ!…もう少しで答えが出そうだから…」
少し意地を張っているのかオフィクレードがまた悶々と考え始めた時、
向うから一人の老人が松葉杖をついてやってきた。
「ほほほ…何を考えてらっしゃるのかな、王子?」
「あっ、じっちゃん!」
この老人はダル・セーニョ王国の騎士団長を勤めていた経験がある歴戦の猛者である。
20年前、ダル・セーニョが当時の魔界軍王達の手によって攻め込まれ滅亡に追いやられた時、
最後まで先代の国王・シュリンクス王とともに戦った誇り高き騎士。
当初、ダル・セーニョで生き残ったのは彼と当時まだ幼い王子であったトロンであった。
それ以来ずっと北の都での戦いでも、この20年間のダル・セーニョの復興事業に関しても、
中心人物としてトロンの傍に一番仕えている人物であろう。
今はもう高齢のために一線を退いているがその生き様と信念は
多くの兵士達から尊敬の眼差しで見つめられている。
最近、この城に入ってきたブラッダーも彼をそのように認めている一人だった。
「どうしたのですか?朝早くからこんな…お体の具合もよくないというのに」
「いやいや、老人は朝早く起きてしまうもんじゃからこのくらいは大丈夫じゃよ。
しかし、朝早くから稽古熱心じゃのう…お主も王子も」
「いえ…俺も朝早くから動かないとどうも身体が鈍ってしまう気がして…王子も似たようなものですよ」
彼はそう言って隣にいるオフィクレードを見た。
オフィクレードはそれに対しにっこりと笑って見せた。
「王子にとってもお主にとってもこれは良いことじゃのお…じゃが」
そう言って唐突に老人は松葉杖の先をブラッダーに向けた。
彼を見つめる老人の瞳は一介の剣士の瞳になっていた。
その瞳にブラッダーは一瞬だが物怖じした。
老人は話を続ける。
「お主の瞳が…少々迷っているように見えての。」
「迷い?」
その言葉にブラッダーは少し首を傾げた。
自分はいつも迷い無く、トロンが教えてくれた誰かのために己の誇り高き剣を振るっていた。
そしてそれが強さに繋がっていると思っていた。
それが違うと言われると困惑するほか無かった。
でも言われてみれば…と思う節が浮かび上がった瞬間、
「あっ、それってあれじゃないのかな?」
その二人のやり取りに考え込んでいたオフィクレードが立ち上がって答える。
「ほらブラッダーがさっきまで僕に尋ねていたことだよ。『俺はどのくらい強くなったのか?』って。
その迷いって…そこから来てるんじゃないのかな?」
「それが…俺の迷い…?」
思えば、ブラッダーがここに来て以来オフィクレードやトロン、
かつての自分の部下たちやダル・セーニョの兵士達との手合いは数多くとも
それはあくまで『稽古』という範疇のものでしかなかった。
たまにある剣術大会ではトロンや数少ない精鋭とは常に全力を出し切った戦いが出来るが、
その戦いもそれほど数多く存在するものではない。
どのくらい自分が強くなったのか、その確証が得られる場所は存在しなかったのだ。
老人は松葉杖を降ろして何時もの穏やかな瞳になって話を続ける。
「迷いは剣を鈍らせる…その鈍り具合は大なり小なり勝敗に影響を与える。
しかし…そこを乗り越えた時こそ、お主の真の強さというものが見えてくるじゃろう…」
そして彼はかつてこの地で『それ』を乗り越えた人物を思い起こす。
仲間に支えられ、叱咤され、迷いを断ち切り剣を振るった人々のことを。
「しかし…俺はそれを見つけることができるだろうか…?」
ぎゅっと握り締めた自分の手を見つめながらブラッダーは老人に尋ねる。
「何、もうすぐ乗り越えるチャンスはそこにあるぞ。」
「えっ?」
「今回ここを尋ねたのはその連絡も兼ねてなんじゃが…
王子、3日後“ヴァージナル”が戻ってまいりますぞ」
「ヴァージナルって…あのヴァージナルが!本当に!!」
それを聞いた瞬間、オフィクレードの瞳がキラキラと輝いていた。
彼がそんなにまで喜ぶヴァージナルという人物は一体何者なのだろうかとブラッダーは考えていた。
「王子、ヴァージナルとは一体…?」
「あっそっか…ブラッダーはヴァージナルのこと知らないんだっけ。
前ここに戻ってきたのが確か…2年前のことだからね。」
「まあ、会ってみれば分かるじゃろう…結構おぬしと似たタイプじゃからな…
あえて詳しいことは言わんでおくからで楽しみにしとくのも手じゃぞ。」
そういわれれば益々気になってしまうではないかと思うブラッダーだったが、
あえてそうとは言わなかった。
自分に似ているというヴァージナル。
オフィクレードの喜びようとこの老人の語り口調からよっぽどの猛者なのだろうと感じていた。
そのヴァージナルが自分にとって迷いを乗り越えるチャンスになる。
その言葉にブラッダーは今まで感じることが少なかった希望というものを抱くようになった。
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