夢と恋愛。
どちらかを選ぶことなんて出来ない。
私にとって、どれも必要不可欠なことだから。
勿論、わがままな悩みだとは思っている。
むしろ、留学の話が舞い込んできて、その上恋人もいるだなんて、
贅沢かもしれない。

だけど、この悩みが今の私を非常に苦しめている。
クラビさんと、もし離れ離れになるとしたら、
お互い遠くの地から、互いを想うことになるのだろうか。
たしか、TVや雑誌では、それを「遠距離恋愛」と呼んでいた気がする。

・・・・遠距離恋愛。
それが、果たしてできるのだろうか。
まだ、付き合いはじめて間もない私たちに・・・・・・・。


回想から、現実の世界へと戻る。
雪は相変わらず、ちらちらと降っていた。
待ち合わせ場所に、近づけば近づくほど、
私は、胸をしめつけるような緊張感に襲われる。

いつもの待ち合わせ場所の時計台。
風が吹雪いてるせいか、視界がはっきりとしない。
だけど、私の目は確かに、時計台の下にいる人物をとらえた。
・・・・・・クラビさんだった。

「クラビさんっ」
いつものように声をかける。
すると、彼はゆっくりと私の方へ振り向いた。
「お、ヴィオリーネ。こんな時間にどうしたんだ?」
「ごめんなさい、急に呼び出しちゃったりして」
クラビさんは、笑顔で私を迎えてくれた。
鼻の頭が、ほんの少し赤くなっている。
茶色の髪の毛にも、わずかに雪が積もっていた。
きっとこの雪空の下、ずっと待っていてくれたのだろう。
そう思うと、私の心はますますきつく締められた。
それでも、私は口元に笑みを浮かべ、
コートのポケットに両手を入れながら微笑んだ。
「寒いですね。何か温かい飲み物でも買ってきましょうか」
なんだ、私・・・笑えるじゃない。
「いや、いいよ」
「でも、このままだと寒くて凍えちゃいます・・・・」

本当に、今日はどれだけ気温が下がっているのだろう。
しかし、クラビさんは私の目を見て言った。
「・・・・それよりも、早く話が聞きたいな」
クラビさんは、少し真面目な表情になった。
彼のこういう表情に、私は本当に弱い。
クラビさん、ずるいです。
そんな表情、しないでほしい。
明るく話題を持ち出すという、私の計画が壊れてしまうじゃない。

「えっと・・・・あのですね」
私は笑顔を張り付かせ、そのまま言葉が途切れてしまった。
しっかりするのよ、私。
最後まで、ちゃんと泣かないで話すの。

クラビさんは、私の目をまっすぐと見つめている。
でも、私は彼の目を見ずに、反らす様に背を向けた。
今、クラビさんの顔を見たら泣いてしまう。
私は、彼に背を向けたまま天に顔を上げた。

「ね、クラビさん。永遠の愛って信じてる?」
「・・・・何を急に言い出すんだよ」
クラビさんは思わず苦笑する。
それもそのはず。私ってば何を言い出してるんだろう。
でも、胸の中の切なさはどんどん募るばかりだ。
「もうっ・・・笑わないで下さい」
私は少し頬をふくらませる。
クラビさんは今、私の背中を見てどう思っているのだろう。

「いや、実際のところどうなんだろうな。
結婚式ではよく永遠を誓い合ったりするし、
恋人同士でも永遠を誓い合ったりするだろ?
・・・・・・でも、現実は言葉通りにならないことがほとんどなんだよな」
背後から突き刺さる声。
それが、クラビさんの意見だった。
でも、現実的な彼だから、きっとそう言うだろうな、とは思っていた。
分かっているはずなのに、思わず顔を涙目で歪めてしまう自分がいる。

「でも・・・」と彼は続ける。
「でも、オレにとって、まだ見えない未来よりも、
今確かにある『現在(いま)』を大切にしたいと思っているよ」
「い・・・ま・・・?」
口元が少し震えてるのが、自分でも分かる。
「ああ。オレには、そんなキレイな誓いの言葉なんていらない。
 ヴィオリーネが今、オレの隣で笑ってる。それだけで十分だ」

クラビさんは、どこまでも真面目な人。
・・・・・・そして、とっても言葉に深みのある人。

私はクスっと吹きだすと、思わずお腹を抱えて笑ってしまった。
「フフフッ!クラビさんったら・・・・そんなにキザなことを言う人でしたっけ?」
振り返る私に動揺するクラビさん。
「キザって・・・!ヴィオリーネ失礼じゃないか?」
「だって、本当にそういうところ、クラーリィさんにそっくり」
「師匠と一緒にしないでくれよっ」

私は笑った。
笑いながら、涙があふれてきた。

「・・・・・ヴィオリーネ?」
心配そうに声をかける彼。
私の頬は、次から次へと涙が伝っていた。
私は、笑い続けているつもりだった。
あまりにもクラビさんの言葉が嬉しくて・・・・・・・
・・・・・苦しくて・・・・・・。

「ヴィオリーネ!なんだっどうしたんだ!?なんで泣いてるんだよっ」
「ごめ・・・なさい・・・・なんか、止まらなくて」

涙が溢れたら最後だった。
でも、クラビさんは、泣き出す私をそっと抱きしめてくれた。
雪の中、電灯もない暗い夜道の中で。
クラビさんは何も言わず、私を温かく包み込んでくれた。
その温もりに、また泣けてきた。


「クラビさん・・・・もし、私が来月から留学することになったらどうします?」
「・・・・・え・・・」
予想通りの反応を返す彼。
しばらく沈黙が続いていた。

その沈黙が、どれだけ辛かっただろう。
すると、クラビさんは遠くを見つめながら呟いた。

「・・・・でも、それがヴィオリーネの夢なんだろ?
言ってたじゃないか。留学するのが夢だって」
「私・・・・そんなこと言ってました?」
「ああ。だから、少なからず覚悟はしていたんだよ」
「・・・・・・そうだったのですか」

知らなかった。
もうすでに、この選択に迫られることを分かっていたなんて。
でも・・・・私は、彼に言って欲しい言葉があった。

「クラビさん、留学したら・・・・私たち離れてしまうのですよ」
「・・・・そういうことになるな」
「・・・・クラビさんは・・・・それでも・・・いいのですか!?」

私は、彼に何て言ってほしいのだろう。
自分でもよくわからない。
だけど、心のどこかで、私を彼の中で繋ぎとめて欲しいという願望があった。
「行くな。ずっとオレの側にいろ」って・・・・・・。
そんな言葉を望んでしまう私は、わがままでしょうか。

私は、ポロポロと涙をこぼした。
これで、クラビさんとは終わってしまうのかもしれない。
そう思うと、ただただ不安と恐怖だけが私を覆いつくす。

「ヴィオリーネ・・・・・・・」
「私は・・・・・クラビさんから離れたくないっ・・・・・・」

・・・・・そう。
私にとって、留学と同じくらい、いえそれ以上に大切な存在がクラビさんなの。
今、私の中で、彼の大きさを改めて実感する。
大好きなクラビさんとずっと一緒にいたい。
それが私の本音なのかもしれない。

「オレだって・・・・ヴィオリーネには行って欲しくないのが本音だよ」
そう言って、小さく呟く彼。
「じゃあ、どうしてっ」
「・・・オレは、ヴィオリーネの夢を応援したいんだっ」

その言葉に、全ての時間が止まった気がした。
ちらちらと降る雪も、冷たく吹き付ける風も、何もかも。
私は、瞳孔をわずかに大きくさせると、
その中にクラビさんの顔を映し出した。

「ヴィオリーネには、ずっと生き生きと踊っててほしい。
 バレエを踊るヴィオリーネの目は、ほんとうに輝いていて、
 オレは、ヴィオリーネのそういうところに惚れたんだ・・・・・」
「クラビさん・・・・・」

どうしよう。胸が熱くなってくる・・・・・。

「いくらでも待つさ。たしかに寂しくないって言ったら嘘になるけど、
 ヴィオリーネの夢がかなって、オレもすごく嬉しいんだ」

そう言って、彼は白い歯を見せて笑った。
その笑顔は、本当に自分のことのように喜んでる笑顔だった。
その笑顔を見るだけで、今まで悩んでたことが小さなことに思えてしまう。

ああ・・・・
どうして私は、彼のことを信じられなかったのだろう。
クラビさんは、私のことを、こんなにも想ってくれている。
私たちは、はじまったばかりじゃない。
そう、たとえどんなに離れていても、
互いに想う気持ちがあれば、ずっと続く。
確かな「今」を二人で刻んでいくことには変わりはない。
そして、お互いにもっと成長して再会した時には、
今以上に素敵な恋人同士になっているのだろう。

「留学、本当におめでとう」
「ありがとう、クラビさん」

私たち二人は笑った。
そして、身を寄せ合うと、
冷たくなった唇をゆっくりと重ね合わせた。


・・・・・・雪の降る、時計台の下で。